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破門されたジェームズ・シャノン前補佐司教が死去

 【ワシントン=RNS・CJC】米ミネアポリス=セントポール教区の補佐司教当時、受胎調節問題で教会と意見が対立、辞任したジェームス・P・シャノン氏が8月28日、脳梗塞(のうこうそく)で死去した。82歳。
 シャノン氏は、教皇パウロ6世の回勅『フマネビテ』が産児制限を非難していることから、それを支持できないとして1968年にバチカン(ローマ教皇庁)に辞表を提出した。バチカンは辞表の受理を拒否、シャノン氏は「休暇」とされた。
 シャノン氏がNBC放送の特集番組『新アメリカ・カトリック』の解説を担当したことで、ロサンゼルス大司教ジェームズ・フランシス・マッキンタイア枢機卿の怒りも買っていた。同大司教は、番組を「誤っていて、紛らわしく、そして無許可」と非難、結果的にシャノン氏の司教昇任やアメリカ・カトリック大学学長への道も閉ざされたと見られていた。
 辞表提出は1969年6月まで公にされなかった。その2カ月後にシャノン氏がルース・ウィルキンソンさんと結婚していたと報じられ、即座に破門された。その後、同氏は慈善分野で活躍、ゼネラル・ミルズ財団の会長も務めた。98年には自叙伝『意にそまぬ不平分子』(Reluctant Dissenter)が出版された。
 ミネアポリス=セントポール教区のハリー・フリン大司教は声明で「シャノン博士は……我々の教会が大きな混乱にある時に宣教の業から去った。それはカトリック共同体にとって大きな損害であった。教皇ヨハネ・パウロ2世の特認によって、シャノン博士が晩年には我々の教会と霊的に完全な関係のある中で過ごしたことを喜ぶ」と述べた。□

KIRISUTO.INFO Last Update : 2003/09/08