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ヒエロニムスの指摘裏付ける墓碑銘

 【エルサレム=ENI・CJC】(ロス・ダン記)考古学からキリスト教を捉えると、この50年で最も重要ということになるかも知れない発掘が行われた。発見された墓碑に刻まれた内容が問題で、新約聖書に登場する主要な人物3人はエルサレムの同じ墓に葬られたという伝承を裏付けることになりそう。
 聖書をヘブル語からラテン語に翻訳(ヴルガタ訳)したヒエロニムスによれば、洗礼者ヨハネの父ザカリア、神殿で幼子イエスを抱いたシメオン、イエスの兄弟ヤコブがその3人だとされている。
 解読された碑文によると、墓はエルサレム旧市街の城壁の外側、ケデロンの谷の北部のアブサロム墓地として知られる場所ということになる。壮大な墓で、ダビデ王の反抗的な息子アブサロムの死去の約1000年後に建てられたとされていた。
 ただ研究によって、この墓がアブサロムのものではないとはしたものの、誰が埋葬されたのか結論はこれまで出せなかった。
 事態が進展したのは、エルサレムのヘブル大学のジョー・ザイアスという学者に、ある学生が1枚の写真を見せたこと。その写真には、墓地の扉にギリシャ文字が記されていた。
 ザイアス氏は形質人類学の専門で考古学者ではなかったが、この問題を調べることにした。
 同氏は墓に行ったが、扉にギリシャ文字を見付けることが出来なかった。ただその時は冬で、そして写真は夏に撮られていたと見られるので、夏場に再訪した。日ざしも強かった。
 「夏の日の午後7時ごろ、太陽がエルサレムの城壁に沈もうとしていた。その時、突如ギリシャ文字が魔法のように浮かび上がった」と言う。全部の文字ではなかったが、解読作業を始めるには十分だった。
 作業は容易ではなかった。それはアブサロムが父親のダビデ王に対して犯した裏切りのため、「エルサレムでは墓に投石する長い伝統があった」から銘が傷付けられていたのだ。「これが文字を読みにくくしていた理由の一つだった」。
 ザイアス氏は文字の印影をとるために型取りをすることにした。すると「信じられないほど長い碑文を把握出来た」と言う。碑文は「ザカリア、殉教者であり、非常に敬虔な祭司、ヨハネの父の埋葬碑」と判読出来た。
 ザカリアとヨハネは新約聖書時代には普通にある名前。しかしザイアス氏には、この2人の名前が使われるのは、洗礼者ヨハネの父ザカリアを指していることに疑いのないように思われた。
 そこでエルサレムの聖書研究所(エコール・ビブリーク)のエミル・プーク教授に協力を求めた。同教授は、古代文書の世界的な権威。プーク教授は、碑文を351年ごろのものとし、キリスト教がローマ帝国の国教となってから約10年後に修道士によって刻まれたと推定している。聖地のキリスト者が、イエスと結び付けられた神殿を計画し始めたのがこの時代。
 ザイアス氏は、幼子イエスが救世主であることを啓示されたシメオンに関する記述など、さらに多くの研究結果を発表する準備を進めている。
 ヒエロニムスが指摘した3人の中で、ヤコブの名前は見つかっていない。ただ今後の研究によって、墓の所在を確定出来るようになると言う。
 もっともザイアス氏は、資金を使い果たし、借金もかさみ、研究の前途は定かではないが、歴史上の重要な発見だから何とかしたい、と意気ごみは盛ん。□

KIRISUTO.INFO Last Update : 2003/10/20