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最期の言葉は「アーメン」、各地で信徒・市民が集まり祈り

 【CJC=東京】「神の代理人」とも呼ばれるローマ教皇は、世界約10億人のカトリック信者にとっては信仰の導き手である「パパ様」だった。
 3月2日午後8時から、教皇の自室で、神のいつくしみの主日(復活祭後最初の主日)のミサが行われた。ミサは教皇と同じポーランド人のスタニスラス・ドジヴィズ大司教が司式した。
 バチカン(ローマ教皇庁)は「ミサの中で、聖なる父は臨終の聖体拝領を受けられ、病者の塗油の秘跡を受けた」と発表した。
 国営イタリア放送は2日、ヨハネ・パウロ2世は死の瞬間まで意識があり、最期の言葉は「アーメン」だったと報じた。
 臨終から約20分後、国務省長官代理のレオナルド・サンドリ大司教がサンピエトロ広場に集まった人々に、教皇の死を発表し、黙とうを呼びかけた。多くの人々が涙をながす中、人々は頭を下げて黙とうし、その後、一斉に拍手が始まった。イタリアでは、功績を残して死んだ人を称えて拍手する習慣がある。同夜には10万人の信者らが集まり祈りをささげた。
 バチカンやローマ中の教会で追悼の鐘がたえまなく鳴り響き、バチカン市国の旗、イタリア国旗と欧州連合(EU)の旗も全て半旗に降ろされた。
 欧米のテレビでは、教皇死去のニュースを伝えるキャスターや識者たちも、みな黒い服装で画面に現れた。
 ニューヨークでは、マンハッタン5番街の聖パトリック大聖堂に、正式発表前から死去の報を聞いた信徒たちが雨の中を詰め掛けた。入口には米国国旗とバチカン市国の旗が半旗で掲げられた。
 マドリードでは、教皇が03年5月に100万人を前にミサを行ったコロン広場に数千人が集まり、教皇を悼んだ。
 パリではノートルダム大聖堂の鐘が、教皇の生きた84年間を記念するため、84回鳴らされた。聖堂内には約3000人が集まり祈りを捧げた。聖堂に入れなかった人も約1000人に上った。
 キューバのハバナでは、教皇の死去を告げる教会の鐘は鳴ったものの、多くの市民が事情を知らないためか教会に詰め掛け、祈る姿はまれだったという。
 中国では、国営新華社通信社が訃報を伝え、「死去前に、中国天主教愛国会と中国カトリック主教団が、回復を願うメッセージを送った」と報じた。□

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