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故教皇、5年前に退位検討=バチカンが遺書公開

 【CJC=東京】4月2日死去した教皇ヨハネ・パウロ二世の遺書が7日、バチカン(ローマ教皇庁)によって公表された。遺書はポーランド語で15ページにわたって書かれ、イタリア語の翻訳と共に公表された。
 遺書は6つの部分からなり、教皇即位直後の1979年3月6日に書き始められ、2000年で終わっている。
 「目を覚ましていなさい、いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」(マタイによる福音書24・42)との書き出しで始まり、1980年2〜3月の部分は「私が書き加えたいのは、誰もが死に目覚めていなければならないということだ」と繰り返している。
 78年10月の即位以来、故教皇は、終身務める決意をたびたび口にしていたが、パーキンソン病など健康状態の悪化した2000年には「自分の使命は教会を二千年紀まで導くこと」と記し、80歳という年齢の区切りもあってか、退位を検考えていたことがわかった。この時の記述が最も長い。また82年に遺体は祖国ポーランンドに埋葬されることを望んでいたが、85年には枢機卿会議に委ねる方針に改めた。
 遺書の中で故教皇は「どれほど長く(教皇という)使命を続けなければならないか、わたしが理解できるように神が手助けしてくださることを望む」と告白。「神の慈悲がこの使命を果たすのに必要な強さを与えたもうことを」と訴えている。
 故教皇はまた、東西冷戦体制が「核の衝突という暴力なしで終わった」ことについて、「神の摂理」に感謝の言葉をささげている。□

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