みんなのキリスト教ニュース - 外海から五島にキリシタン移住 史実裏付ける家系図寄贈、歴史民族資料館に

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 キリシタン禁制時代、大村藩領の外海から海を渡って五島藩領に多数のキリシタンが移住した史実を裏付ける家系図「三代書き」が五島市松山町、自営業、平山城司さん(40)の実家で見つかった。平山さんら家族は二十八日、長崎市西出津町の外海歴史民俗資料館を訪れ「三代書き」の複写を寄贈した。

 一七九〇年代(寛政年間)、外海のキリシタン追放を図る大村藩と、五島藩が「百姓移住協定」を結び、最終的に約三千人のキリシタンが五島に移住したとされる。

 平山さんの「三代書き」は、五島市平蔵町の実家で母の赤尾スエミさん(65)が見つけた。「先祖御届」と記され、平山さんの二代前から五代前までを記載。長崎ウエスレヤン大講師の加藤久雄さん(38)によると、五代前は二百年ほど前に当たり、大村藩からの移住があった一八〇〇年前後とほぼ一致。五代前に「磯右エ門」など個人名のほか「ドミニコ」の洗礼名、「外目神ノ浦生レ」など外海出身を示す記述がある。昭和初期の作製とみられる。

 敬虔(けいけん)なカトリック信者の平山さんと次女理絵奈さん(10)、三女亜依理さん(8つ)、赤尾さんらは、弾圧を逃れて五島を目指した先祖の労苦と信仰をしのぶため、想定される海上の移住ルートを逆にたどる旅に臨んだ。二十七日に五島市から新上五島町へ。二十八日に同町の友住港から崎戸商船「フェリーみしま」で海を渡って西海市の崎戸港、南下して旧西彼外海町(長崎市)に到着。平山さんの兄で長崎市の本河内教会の赤尾満治神父(42)も合流し、外海歴史民俗資料館の日宇英之さん(63)に「三代書き」の複写を手渡した。

 平山さんは「この地から先祖は島づたいに五島を目指したはず。自分たちのルーツを探る機会となった」。同行した加藤さんは「歴史性のあるルート。キリスト教遺産群の世界遺産としての価値を理解する上でも役に立つ巡礼路と言える」と話した。

 「三代書き」の複写は、同資料館で展示する予定。

(長崎新聞 12月29日のながさきニュース)


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