みんなのキリスト教ニュース - 東京新聞:人生にも限り一瞬一瞬大事に 流れ去るものを詠む 横山未来子さん(歌人)

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 初秋の午後、東京都武蔵野市の閑静な住宅街。「歌と出合い、私の世界は大きく広がりました」。第三歌集『花の線画』(青磁社)で今年、第四回葛原妙子賞を受けた歌人の横山未来子さん(36)は、自宅の一室で柔らかにほほ笑みながら話し始めた。

 黒目がちな目に一語一語かみしめるような口調、きゃしゃな首筋に揺れるクロスのペンダント…。清楚(せいそ)なたたずまいは、「端正」と評されるこの人の歌風と、すんなり結び付く。

 体が弱く、学校に通うことができなかった。小・中学校は自宅に先生が来て勉強。高校は通信教育で学び十七歳で大検に合格した。

 家に閉じこもっていた少女時代。当然、友達はいない。「将来、何を目標に生きればいいのか、漠然とした不安を抱いていました」

 そんなとき、雑誌の書評欄で目にした本に、引きつけられた。三浦綾子の自伝小説『道ありき』。若いころ、脊椎(せきつい)カリエスで何年間も寝たきりだった作家に、自分を重ねた。「なぜ希望を捨てず、生きられたのだろう」と。

 すぐさま、本を手に入れた。それが、短歌との出合いとなった。

 耳の中に流れし泪(なみだ)を拭(ぬぐ)ひつつ又新たなる泪溢(あふ)れ来つ

 収められていた、幼なじみの死をいたむ二十数首の挽歌(ばんか)。心が揺さぶられた。「寝たきりの綾子さんは、死に顔を見に行くことすらできない。三十一文字に、魂が込められていると感じたんです」

 感想を書いて送った。思いがけず返事が来てやりとりが続いた。「綾子さんのように、与えられた人生をしっかり生きられたら」。そう願い、二十歳でキリスト教の洗礼を受けた。

 間もなく、通信講座で短歌を作り始めた。「思い返すと、何か大きな力が働いていたとしか思えない」

 ちょうど、十代終わりから使い始めた電動車いすの操作にも慣れたころ。一人で買い物や散歩に出ては、身近な自然や動物をつぶさに観察した。「冬が近づいて光が柔らかくなったなとか、並木の緑が日に日に濃くなったなとか。すべてが新鮮でした」

 体中で「命の輝き」を吸い込み、毎晩、寝る前に歌を作る日々。やがて、佐佐木幸綱主宰の「心の花」に入会すると、短歌に取り組む仲間が自宅にやってくるようになった。初めてできた同世代の友達。彼らとの触れ合いは、作歌への意欲をかき立てた。

 俵万智の『サラダ記念日』が大ブームを巻き起こした一九八〇年代後半以降、短歌界では口語調の軽い歌が勢いづいていた。が、横山さんは文語で詠むことにこだわった。

「文語の凜(りん)とした響きが好きなんです」。「る」「らる」「き」といった助動詞一つで、受け身や可能、過去などの意味を持たせられることも魅力だった。「微妙なニュアンスが内包されることに豊かさを感じた」

 胸もとに水の反照うけて立つきみの四囲より啓(ひら)かるる夏

 短歌を始めて三年目。短歌研究新人賞を受けた「啓かるる夏」三十首の一首目。この「啓かるる夏」を収め、九八年に出版された第一歌集が『樹下のひとりの眠りのために』(短歌研究社)だ。

 ひと束の水菜のみどり柔らかくいつしかわれに茂りたる思慕

 文語文法、序詞、比喩(ひゆ)など伝統的な技法を用いながらも、作品には青春のみずみずしさ、恋の喜びがあふれる。「当時はきれいな言葉や表現を使いたくて。題材を美しい世界に限定しすぎたかもしれません」

 第一歌集に寄せられた「端正」「清新」といった評価に反発するように、続く『水をひらく手』(同)では手触りの感じられる、現実感のある歌が増える。そして、葛原妙子賞を受けた『花の線画』。身の回りの移ろいゆくものをいとおしむ歌も目立ってきた。

 とどまれる靄(もや)のやうなる幸福に頭をかるく凭(もた)れさせゐき

 「無常観」と言ってもいいかもしれない。「みんな流れ去っていくもの。年齢を重ね、人生にも限りがあることを感じる。だからこそ、一瞬一瞬を大事にとどめたいと強く思うんです」

 車いすで暮らす自らの境遇を歌ったことは、ない。「そんなことで共感を得たくはない。誰にでも共通する、感情の核の部分を詠みたいんです」。静かな話しぶりながら「歌自体、表現自体で勝負したい」という熱い思いが見え隠れする。

 自分の歌を読んでくれる人の存在を信じている。「私の歌を読んだ誰かの人生と重なり合い、新しい世界が広がってくれればいい。私が綾子さんの歌を読んで変わったように」 (宮川まどか)
(東京新聞:2008年9月20日)


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