みんなのキリスト教ニュース - 北海道・函館市 港町 ロシアの風漂う

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 夜景で知られる港町、北海道函館市。江戸末期からロシアとの交流拠点として人々が行き来し、数々の歴史の舞台となってきた。北方領土を巡り日ロ関係に微妙な陰りは出ているものの、文化交流の「懸け橋」としての位置づけは今なお変わらない。

 函館駅前から市電に乗って「十字街」停留所で降り、坂を上ると白壁と緑色の屋根の建物が目に入る。函館ハリストス正教会「復活聖堂」だ。ハリストスとはキリストのこと。1860年、ロシア領事館の付属聖堂として建てられたが、1907年の函館大火で焼失。16年に再建された。その鐘の音から「ガンガン寺」の愛称で親しまれる。

 「海からの浜風に煽(あお)られ、函館山の頂きを見上げながら歩くと、教会の鐘が響いて来る。(中略)ロシアの田園部にある小さな教会によく似た佇(たたず)まいが、ドミトリーに郷愁をもたらした」。亡命ロシア人と日本人との愛をテーマにした小説「黒髪」で、谷村志穂さんはこう描いている。

 聖堂内にはイコン(聖像画)が配されており、その荘厳さに圧倒される。よく見ると、縦書き文字の聖書を手にするキリストの姿も。「日本語の聖書です。日ロの文化交流の証しといえます」。管轄司祭のニコライ・ドミートリエフさんは言う。

 ニコライ堂(東京・神田駿河台)で知られる聖ニコライは約150年前、この地で日本での布教を始めた。日本初の信者になった3人には坂本竜馬の縁せき、沢辺琢磨も。同志社を創設した新島襄は箱館(現函館市)から米国に渡る前、ニコライに古事記を教えたと伝わる。

 江戸末期から箱館は常にロシアとの交渉の最前線だった。「伊勢から漂着した漁民を伴い、幕府に通商を求めたのがラクスマン。松前藩に行く途中、1793年に箱館に寄港しています。これが函館とロシアの交流の始まり」。こう話すのは函館日ロ交流史研究会の倉田有佳さんだ。

 1811年、国後島沖で測量中に捕らわれたロシア軍艦の艦長、ゴローニンも箱館で約1年を過ごしている。司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の主人公、高田屋嘉兵衛の働きで事件は解決した。今、函館山を望む抑留の地のそばには嘉兵衛の銅像が立ち、近くに日露友好の碑も。1999年に嘉兵衛とゴローニンの子孫がこの場で相まみえた記念に建立された。港近くの「箱館高田屋嘉兵衛資料館」には、ゴローニンが作った地図の写しなどが展示されている。


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