みんなのキリスト教ニュース - 「長崎と茂木をイエズス会に譲与」 大村純忠の寄進状、世界初公開へ

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 戦国時代のキリシタン大名大村純忠(一五三三-八七年)が長崎と茂木をイエズス会に譲与した契約書「長崎・茂木寄進状」(スペイン語訳文)が、十一月一日から長崎歴史文化博物館(長崎市立山一丁目)で開かれる「バチカンの名宝とキリシタン文化」展で展示される。寄進状を所蔵するローマのイエズス会文書館が初めて貸し出しを認めた。一般公開は世界初。

 純忠の寄進状は、戦国時代の長崎を外国が一時領有していたことを裏付ける世界的な重要史料。日本語の原文は発見されておらず、スペイン語訳文だけがイエズス会文書館に現存する。

 寄進状は一五八〇(天正八)年四月二十七日付。松田毅一訳「日本巡察記」によると、来日したイエズス会の巡察師バリニャーノからローマの同会総長に送られた。

 寄進状は、同時期の東洋関係の手紙とともにアルバム状の台帳に張り付けられ、四百年以上にわたり保管されてきた。県は約五年前から寄進状をめぐりイエズス会と折衝。カトリックの一大儀式の列福式(十一月二十四日・長崎市)に合わせて開催する展覧会の目玉にしようと、昨年貸し出しを依頼し、ことしに入って内諾を得た。

 寄進状はA4判ほどの大きさ。保存状態は良好で、スペイン語のつづりがはっきり判読できる。「イエズス会に長崎・茂木を永久に無償贈与する」「パードレ(司祭)が選んだ者に裁判権を与える」などと書かれ、末尾には純忠・喜前父子の洗礼名「ドン・バルトロメウ」と「ドン・サンチョ」の連署がある。

 当時、長崎は隣国の戦国大名龍造寺隆信に奪われる恐れがあり、純忠は貿易収入を確保するため譲与を決断したといわれる。イエズス会支配の下、長崎は南蛮貿易とキリスト教布教の根拠地として栄え、同会の支配は豊臣秀吉に没収される一五八七年まで続いた。

 県文化振興課の海江田義広学芸係長は「長崎が治外法権の日本最初の地だったことを示す重要史料。戦国期の長崎の文書がローマに現存することに、当時の強大なネットワークも感じられる」と話している。


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