みんなのキリスト教ニュース - 富岡・甘楽教会ゆかりの黒澤長吉しのぶ 記念講演会

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 富岡市七日市の日本キリスト教団・甘楽教会の創立127周年を記念した講演会が20日、同教会であった。県立歴史博物館学芸員の手島仁さんが「黒澤長吉と2人の同志社総長」と題して、黒澤が残した手紙などから、その生き方を紹介した。

 黒澤(1871~1966年)は甘楽町出身。教会が創立された翌年の1885(明治18)年に洗礼を受け、新島襄が設立した同志社英学校で学んだ。病で群馬へ戻った後、農業の傍ら製糸組合の甘楽社小幡組などで指導者として活躍、市井に生きた。

 黒澤宛ての手紙は145点残されており、県立歴史博物館に所蔵されている。教会や同志社の関係者をはじめ、共愛女学校校長の周再賜や、言論人徳富蘇峰の夫人からの手紙もある。

 手島さんは、戦時色を濃くしていく時代に第10代総長を務めた湯浅八郎と、第11代総長を務めた牧野虎次の黒澤宛ての手紙を紹介した。

 このうち牧野の手紙では、軍部の圧力を受けていた湯浅の身を守るために渡米させ、戦後、再び第12代総長として迎えいれた安堵(あんど)感を黒澤だけに打ち明けていた。

 黒澤は「三三五五到達主義」という自らの墨書を書斎に掲げていた。組織には理解が早い人も遅い人もいて、効率主義だけではだめだという意味だという。手島さんは「新島襄の『人ひとりが大切なり』という教育方針を、黒沢は自らの言葉で語り、実践していた」と講演を締めくくった。

asahi.com 朝日新聞 2011年2月21日


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