みんなのキリスト教ニュース - マリアの島の祈り~奄美大島北部をドライブしよう~

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どこまでも澄みきった青空の下、どこまでも青く輝く海。緑の深い山が迫る。奄美大島だ。その島の北部、真夏の風を受けながら車を走らせると、時々、カトリックの教会に出合う。大きな町には立派な聖堂。小さな集落には公民館のような、でも十字架がついている。教会だ。奄美大島が「マリアの島」と呼ばれるゆえんだ。

大和村、奄美市、龍郷町の北部3市町村の信者数は3471人(昨年末現在)。高齢化などで減少傾向にあるが、それでも人口の6%強を占める。鹿児島県全体では0・5%、国内で0・3%であることを考えればいかにカトリック信者が多いかわかる。

江戸の鎖国時代も出島をもうけ、ポルトガル商人らとともにたくさんの宣教師が出入りした長崎県(信者率は4%強)はともかく、南西諸島の奄美大島の北部にどうしてたくさんのカトリック信者が生まれたのか。その歴史をたどると、島が置かれた政治的な状況と無縁ではない。

藩政時代、奄美では年貢として黒糖の生産を課せられた。薩摩藩は米の栽培を認めず、貨幣も流通させなかった。このため島民は米など生活に必要な物は比率の悪い物々交換で得るしかなかった。

明治維新後、中央政府は黒糖の自由売買を認める。しかし、鹿児島県はそれに先んじて、県肝いりの商社をつくり、黒糖の独占を続けようとした。西南戦争で県側が政府に負けると、ようやく島の黒糖も自由に売買できるようになった。しかし、その後も県や警察によるさまざまな圧力を島民らは受けてしまう。

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373news.com author: 宮下正昭(更新日:2013年8月8日)


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